8年3月同盟、そしていい死に方ってなんだろう

四十九日も過ぎたのに正直、祖父が亡くなったという実感は未だに湧いていない。
人間として好きだったかと聞かれるとかなり絶妙なのだが、少なくとも祖父がいなければうどんを食べまくることも、路線図を見てニヤつくことも、地図を見て妄想することも無かったに違いない。好きとか嫌いとかそういうんじゃなくて、なんていうか、特別なんだと思う。

しかし、それはきっと祖父にとっても同じだったのかもしれない。私が生まれる直前に交通事故で轢かれかけたのに、孫に会わなきゃって頭を守った結果、生きてた話を聞いたときは、さすがに何をしてんだ孫が生まれる前にふらついてんなよと思ったけれど、後々その孫は意図せず隔世遺伝のように、なんだかちょっとあちこち似てくるのだから不思議なものである。

昭和8年3月生まれの祖父と、平成8年3月生まれの私と。ひそかに心の中で8年3月同盟と呼んでいた片割れは、もういないのだ。

いや、とはいえ3年前に一度危篤になってもうやばいって電話があって、今から行くから待っててって泣き叫んで、当時住んでいた初台から20:00過ぎに大宮経由で新幹線に乗って病院に向かったことを思い出せば、死の淵から蘇っただけでなく、一時期自力で食べられなくなったのに復活して食べられるようになったし、せっかちだからモリモリ動いていたし、ある意味3年前に一度覚悟を決めてしまったからだろうか、むしろこの3年間生きてたのが凄過ぎない?どういうこと?っていう気持ちのほうが、悲しい気持ちよりずっと大きいのが正直なところだ。

結果として、ずっと使ってたいつものベッドで、自宅の祖父の部屋で看取ることになった。
そして、確かに遠方に住んでいるのも含めて子供(私からしたら母と伯父だが)と孫、そして妻(祖母)に囲まれて亡くなった。
これを、祖父亡き後まで「よかったね」と言われることにどうしても違和感があるのは私が潔癖すぎるのだと思うのだけど、「いい死に方」って誰のものなのだろうって、実際どう思っていたかなど、祖母が言うならまだしも、そんな他人が分かるものかとどうしても思ってしまう。

四十九日の日、お坊さんが「故人に代わってお礼申し上げます」って言ったときでさえ、お前は祖父の何なのかと思ってしまったのはバチが当たりそうだけど、少なくともこれだけは忘れたくないなと思って書いている。死は死んだやつのものだろう、勝手に美化して称えるような真似をしないでくれよ。
称えられることがあるなら、それはそのためにあんまり寝もせずに頑張ってきた祖母であってほしい。それを勝手に「よかった」などと他人が踏み込まないでくれ。看取った私でさえ、そんなこと言えないもの。

それはそれとして、遺影を必要以上に楽しそうな写真にすると、見ていて楽しい気分になることがよく分かった。もうこれは、生きている者のエゴです。
でも、葬式だって生きている人間のためにやるものだと思っているし、そうであってほしいと思っている。勝手に、死んだ人間が望んだものにしたくないね。

©︎moemarusan